他人に頼まれてからではなく、その気持を察して助ける友のこと。仏や菩薩が衆生を救うために進んで働きかけることを友にたとえている。『無量寿経』上に「諸もろの庶類の為に、不請の友となり、群生を荷負して、これを重担とす」(聖典一・二一七/浄全一・三)とある。また『勝鬘経』摂受章に「普く衆生のために、不請の友と作りて、大悲をもって衆生を安慰し、哀愍し、世の法母となる」(正蔵一二・二一八中)とある。大乗仏教徒がもつべき求道の心がまえともいえる。
【執筆者:大屋正順】