仏の教えは、時、場所、機に応じて多様であり、その教法はそれぞれ異なる形で説かれるが、その本旨は一切差別なく同一であるということを指して一味といい、その平等同一なる教法が遺漏なく師から弟子へと伝えられていくことを瀉瓶という。まさに一つの瓶の水が他の瓶にそのまま一滴たりともこぼれることなく、そっくりそのまま移されることを譬えた言葉で、教法が漏れなく皆伝相承されることをいう。
【参照項目】➡瀉瓶相承
【執筆者:慶野匡文】