—永正三年(一五〇六)。金蓮社頼誉。下総国船橋(千葉県船橋市)に住し、下総地方に宗義を弘通ぐずうし宣揚した。その人物について「性雄烈にして、諭揚を善くし」(浄全一七・四五八下)たといい、「蓮教を疎うとんずる」船橋の地にあって「天縦の智」をもって弘教したとされる。明応五年(一四九六)船橋に西光山浄勝寺を創建し、晩年に青蓮社京誉見公に譲ったという。
【資料】『鎮流祖伝』四(浄全一七)
【執筆者:笠島崇信】