宗教学
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しゅうきょうがく/宗教学
ひろく「宗教」と呼ばれてきた人間の営為ならびにその結果として生じてくる諸事象についての組織的な研究の総称。この分野に対してはしばしば「比較宗教(学)」など、他のいくつかの学名も用いられ、その表示は必ずしも統一されていない。ただ、第二次大戦後はhistory of religionsが国際的に採用されて今日にいたっている。この呼称は直接には「宗教史」あるいは「宗教史学」を指すが、「宗教学」をも意味するものとも解されている。言い換えれば、それは宗教が本質的に歴史的な次元をもち、それを抜きにしては理解できないことをつよく示唆している。
[基本的立場]
人類史を展望すると、宗教の起源がどこにあるかはなお不明である。宗教ないしそれに類する一群の現象はあらゆる時期また場所にみられるが、歴史の流れの中で絶えず変容してきた。中でも記録によって知りうる限りもっとも大きな転換は紀元前一〇世紀ごろから起こったとみられ、そこから原始ないし古代的な宗教とは異なる仏教、キリスト教などの「普遍宗教」が生まれ今日にいたっている。これら普遍宗教は、すでに発明されていた文字などの書写技術を駆使してそれぞれに強固な伝統と組織を作りあげたが、その伝統も近代に入って諸地域・社会・文化間の交流が進むにつれて徐々に侵食されるようになり、この過程は現在なお続いているといえる。それらの伝統はふつうその一部として「教学」ないし「神学」と呼ばれ、それぞれの宗教の基本的な教えを彫琢し解釈することをめざす作業を展開してきた。宗教学は一面ではこれら教学や神学といくつかの要素を共有するが、その基本的な志向には重要な違いがある。すなわち、教学や神学が基本的にその背景をなす個々の伝統に内在的であり、その基盤を離れることができないのに対して、宗教学は諸伝統を横断的に捉えて解析することで宗教というものの全体像を追求しようとする。その際に「比較」の方法がことさら強調されるのもそれ故に他ならない。
[成立と展開]
このような宗教の比較考察の萌芽はすでに古代から現れており、故に宗教学の前史はかなり早い時期まで遡ることもできる。しかし、それが本格的な学問の体裁を備えるようになるのは、やはり上記のような歴史的条件が整ってきた近代以降のことである。一般にまず近代化が進行した西欧において、諸学の研究・教育体制が整備されるのは一九世紀後半からであるが、宗教学もそうした動きの一環として成立したといえる。オックスフォード大学を足場に東洋宗教を講じたマックス・ミュラー(一八二三—一九〇〇)などがその初期の代表者に数えられている。研究はその後、他の人文・社会科学分野とも連動しつつ進められ、諸宗教の歴史的変遷ないし展開の追究や記述に加えて、その社会的・組織的な側面や心身の生活機能との連関の解明など、さまざまな課題に取りくみ、多くの重要な知見・洞察をもたらしてきた。宗教学はそれらの作業を通じ「宗教」というものの仕組みや働きを明らかにすることで、現在、教学や神学にも新しい刺激を与えるものと期待されている。
[日本の宗教学]
古くから多元的な宗教の伝統をもつ日本は、宗教比較のための豊かな土壌をなしていた。しかし、それが近代的な学知として確立されるのは西欧より僅かに後の一九世紀末からである。制度的な面では明治三八年(一九〇五)、姉崎正治(一八七三—一九四九)による東京帝国大学の宗教学講座の開設が一つの節目とされるが、その前後にも多くの注目すべき動きがあった。例えば姉崎はそれより一〇年ほど前、少数の同志を誘って月例の「比較宗教学会」を始めたが、のちに浄土宗執綱となる渡辺海旭はその有力なメンバーであった。また姉崎の初期の代表作『宗教学概論』(東京専門学校出版部、一九〇〇)は東大、東京専門学校(現・早稲田大学)のほか、浄土宗高等学院(現・大正大学)でなされた講義からなっていた。他に哲学館(現・東洋大学)を加えたこれらの教育施設は、いわば初期における宗教学研究の拠点であり、その学統は現在までも継承されているといえる。姉崎の下で助教授を務めたことのある矢吹慶輝が早くから大正大学を足場に活動したこともあり、その影響下には竹中信常をはじめ多くの学徒が輩出し、とりわけ仏教を中心とする日本宗教の研究に多くの成果をあげた。
【参考】小口偉一・堀一郎監修『宗教学辞典』(東京大学出版会、一九七三)、島薗進他編『宗教学キーワード』(有斐閣、二〇〇六)、田丸徳善『宗教学の歴史と課題』(山本書店、一九八七)、脇本平也「日本における比較宗教の伝統」(『宗教研究』二五九、一九八四)、竹中信常「日本宗教学の軌跡」(『宗教研究』二五九、一九八四)
【執筆者:田丸徳善】