志法
提供: 新纂浄土宗大辞典
しほう/志法
中国斉代(四七九—五〇二)頃、生没年不明。闍那達磨ともいう。中インドの出身。正量部で出家し、自ら経教を披き、心を極楽に帰し、阿弥陀仏ならびに二十五菩薩像を画き、それを携えて中国へ来たという。伽陀を作り浄土を讃歎すること三年を経て後に自ら「眼を閉れば仏菩薩を見る」と述べている。八一歳のとき庵の戸を閉じて座すること七日、門人が戸をあけてみると中には人影がなくただ遺書のみが残されており、それには「我れ生死海に在りて、幸に聖の船筏に値えり、我が顕す所の真聖、卑穢の質を来迎したもう、若し浄土を欣求せん者は、必ず形像を造画すべし、臨終に其の前に現じて、道路を示し心を摂したもう、念念に罪漸く尽きて、業に随って九品に生ず、其の顕す所の聖衆、先ず新生の輩を讃ず」とあり、法然は『逆修説法』一七日でこの文を引いて、「この世で造画する所の仏像が、先導と作って」浄土へ往生することができる証拠であるとしている。
【資料】『逆修説法』一七日(昭法全)、真福寺蔵『戒珠集往生浄土伝』(『塚本善隆著作集』六、大東出版社、一九七四)、『漢家類聚往生伝』(『金沢文庫資料全書』四、神奈川県立金沢文庫、一九八〇)、聖聡『当麻曼陀羅疏』二(浄全一三・四三九)
【執筆者:金子寛哉】