京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺しょうこくじ派の寺院。通称銀閣寺。応仁の乱で焼失した天台宗浄土寺門跡のあった場所に、文明一四年(一四八二)、足利義政が山荘造営に着手、翌年、堂宇の一部として先行して完成した常御所つねのごしょに住す。敷地内に観音殿(銀閣)や持仏堂である東求とうぐ堂(いずれも国宝)を建立した。足利義政は観音殿上棟の翌年、延徳二年(一四九〇)この地で生涯を終えた。山荘は遺命で禅寺となり、彼の法名にちなみ慈照寺と称された。通称の由来については諸説あるという。
【参考】『京都市の地名』(平凡社、一九八一)
【執筆者:伊藤真昭】