白木の念仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
しらきのねんぶつ/白木の念仏
白木とは彩色をしていない木地のままの木材のことで、これを阿弥陀仏の本願にもとづいて純粋に称える念仏に譬え、彩色は無駄にこれに付け加えられてゆく自力根性に譬えている。法然は『禅勝房伝説の詞』に「本願の念仏には一人立ちをせさせて、助をささぬなり」(聖典四・四八六/昭法全四六二)と述べる。念仏を称えながらも自力の彩りを必要と考えている人に対して「助をささぬ」念仏を勧めている。他力の念仏は決して自力をたのみとすることがない。証空は法然の教えを受けて、白木の念仏を勧めている。『四十八巻伝』四七には「この聖の意巧にて、人の心得易からむ為に、自力根性の人に対いては、白木の念仏という事を常に申されにけり」(聖典六・七三四)と前置きして、一七〇〇余字の白木念仏についての法語が載せられている。この末尾に「已上、門弟の記録に見ゆ」(同七三七)とあるので、この法語が証空の門弟の記録であることが知られる。自力の念仏者は大乗の悟、領解、戒、定散などで念仏を色付けして、嘆き、喜ぶが、これはみな自力の迷いである。何の彩りもない白木の念仏とは『観経』下品下生の臨終の際、死苦に逼られて失念のうちに称えるような念仏、あるいは『無量寿経』の法滅百歳の念仏であると述べる。ただ阿弥陀仏の本願を信じて称える名号を白木の念仏とする。証空の詠と伝えられる「山賤が白木の合子そのままに漆つけねばはげ色もなし」(『西山上人短編鈔物集』二七四)は先の法語を歌にしたものである。また西山浄土宗には白木念仏という独特の念仏の称え方がある。
【執筆者:中西随功】