しょうぶつ/生仏
生没年不明。聖光の門弟とされることから恐らくは一三世紀中頃の人か。はじめ聖道諸宗の学問を修めていた。貞永元年(一二三二)に良忠と共に石見の多陀寺において一両年間の不断念仏を修す。その後、隆寛・聖光・証空のいずれの師によるべきか悩み、善光寺の阿弥陀仏に詣でたところ、夢中で聖光に師事すべきことを告げられ、嘉禎二年(一二三六)良忠と共に聖光の門に入った。
【資料】『鎮流祖伝』三、『然阿上人伝』(共に浄全一七)
【参考】梶村昇『聖光と良忠』(浄土宗出版、二〇〇八)
【執筆者:郡嶋昭示】