しょうにゅう/証入
—寛元三年(一二四五)七月七日。字は観鏡。西山六流の一つ、東山義の流祖。仁田四郎忠常の子。西山派祖証空に師事して奥義をきわめること、あたかも孔子と顔回のような関係であったといわれる。京都東山宮辻子に阿弥陀院を創建して、講筵をはかったことから東山義、あるいは宮辻子義といわれるようになった。五祖一轍を主張したが、著述は伝わっていない。その門弟に正乗、蓮宿、覚入、観日、観明らがおり、一時大いに栄えたが室町初期に法灯が絶えた。
【資料】『法水分流記』(野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)、『源流章』(浄全一五)
【参照項目】➡東山義、五祖一轍
【執筆者:伊藤正順】