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浄土寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じょうどじ/浄土寺

東京都港区赤坂。平河山源照院。通称一ツ木地蔵尊。東京教区№一二二。開創時期は不詳であるが、開山の聖公は文亀三年(一五〇三)三月五日に遷化している。はじめ平河口の拝領地に創建されたが、のち白銀町・麴町を経て、寛永一九年(一六四二)現在地に移った。一説では寛文五年(一六六五)頃に類焼して移転したという。境内には享保四年(一七一九)作成の地蔵菩薩座像が安置されている。この像は「江戸六地蔵」と同様に地蔵坊正元の勧進、太田駿河守正義の鋳造による銅像である。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『江戸府内寺社書上』(『江戸浄土宗寺院寺誌史料集成』)


【執筆者:福田行慈】


大分市王子西町。見仏山西厳院。大分教区№三一。開山は円蓮社満誉覚了。遠江国より行脚をはじめ、明応九年(一五〇〇)、大分県臼杵うすきの毛井村に着き、一宇を建立し浄土寺と号した。その寺に一年滞留ののち、文亀元年(一五〇一)、府内(大分市)の生石村にあらためて当寺を開基。江戸時代には八箇寺の末寺があり、豊後国五二箇寺(現在五六箇寺)の触頭ふれがしら寺院でもあった。また境内には、幕府に反抗し豊後国に配流になった越前藩主松平忠直の墓がある。


【資料】『蓮門精舎旧詞』四〇、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)


【参考】『大分市誌』(全国市町村誌刊行会、一九三七)、宇高良哲『近世関東仏教教団史の研究』(文化書院、一九九九)


【執筆者:今井英之】