一二~三世紀頃、生没年不明。『四十八巻伝』三〇に、外面と内面の一致しない虚仮こけの行者の例として登場する。妙覚寺にあって、道心が深く寺を出ずに念仏に励み、帰依する人がまるで雲霞うんかのように集まったという。五〇歳ほどで臨終を迎えたが、その有様が取り乱して見苦しかったので、人々が不審をいだいた。法然は四十九日の導師をつとめ、弟子が浄心房の衣箱ころもばこを開けたところ袈裟とともに『十二門戒儀』の書物が入っていたという。
【資料】『四十八巻伝』三〇(聖典六)
【執筆者:坂上雅翁】