定玄
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:25時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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じょうげん/定玄
康永三年(一三四四)—応永二二年(一四一五)一一月二四日。清浄華院九世、金戒光明寺九世。僧然と号し、万里小路仲房の子。伏見天皇の皇孫、浄華院八世敬法に師事し、応永五年(一三九八)二月、浄華院長老職を譲補された。戒灌頂の法流を汲み、応永一八年(一四一一)後亀山法皇に円頓戒、『阿弥陀経』を講説した。浄華院と金戒光明寺の兼帯と、両方での戒灌頂法流の相伝が始まったのは定玄のときである。この状態は清浄華院二二世秀馨のときまでつづく。定玄三三回忌にあたる文安四年(一四四七)三月、定玄に和尚号が追諡された。
【資料】『建内記』、「黒谷住持職」(『清浄華院文書』)
【参考】中野正明「中世の浄華院と金戒光明寺」(伊藤唯眞編『日本仏教の形成と展開』法蔵館、二〇〇二)
【執筆者:伊藤唯眞】