一七世紀後半頃、生没年不明。高誉。知恩院三八世万無に師事。延宝五年(一六七七)に当麻曼陀羅(文亀本)を修補し、さらに一つ模写(貞享本)させた。天和元年(一六八一)に忍澂『安心決定集』の序を記して刊行。京都大雲院の六世となり再興した。同二年の京畿地方の大飢饉の際には正月八日から三九日間、多くの人から助縁を得て大雲院において餓民を救済し、毎日一人に一二銭を与えて、その数は二六万六千余人に達したという。誓願寺や法林寺と図り困窮した人々に施米した。
【資料】『浄土宗大年表』(山喜房仏書林、一九九四)、恵谷隆戒『概説浄土宗史』(隆文館、一九七八)
【執筆者:田中芳道】