京都市西京区松尾にある単立(臨済系)の寺。もとは西方寺と称していた。建久年間(一一九〇—一一九九)に念仏の行者でもあった摂津守大江師員もろかずによって法然が住僧として招かれ、別時念仏会が行われたといわれている。師員の弟師秀の子は法然の弟子となった安楽房遵西にあたる。寺はその後、暦応二年(一三三九)に夢窓疎石が伽藍の再建と庭園の造営を行った。庭園には約一二〇種といわれる多くの種類の苔が群生することから苔寺こけでらとも呼ばれる。
【執筆者:工藤美和子】