名古屋市東区泉。持名山菩提心寺。尾張教区№三〇。徳川家康とお亀の方(志水氏)の間にでき六歳で亡くなった仙千代(高岳院殿華窓林陽大童子)の菩提寺として慶長一三年(一六〇八)平岩親吉が清須へ建立した。もとは甲斐の新府にあり教安院といった。開山は寂誉吞宿。同一六年に現在地に移り、志水氏や仙千代の弟徳川義直の援助によって国宝の堂宇伽藍をほこったが昭和一九年(一九四四)の戦火で焼失。同三一年に再建。
【資料】『蓮門精舎旧詞』一六
【参考】徳川義宣『新修 徳川家康文書の研究』(徳川黎明会、二〇〇六)
【執筆者:大田明光】