比叡山東塔西谷の寺院で、法然の師皇円や『四十八巻伝』の著者舜昌しゅんじょうが居住していた(『翼賛』五〇、浄全一六・七三九上)。信長の比叡山焼き討ちにより焼失したが、昭和に入りその跡地に法然堂が建てられた。またその里坊が洛北にあった。『翼賛』五二(浄全一六・八〇九下)によると、もとは今出川北小路(現・相国寺)にあった賀茂社の神宮堂で、河原屋や釈迦堂とも呼称され、宮司によって法然に進ぜられた。法然滅後に源智が居住し、知恩寺の前身となった。
【参考】三田全信『改訂増補 浄土宗史の新研究』二二三
【参照項目】➡知恩寺一、法然堂
【執筆者:齋藤蒙光】