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経ヶ島

提供: 新纂浄土宗大辞典

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きょうがしま/経ヶ島

摂津国八部やたべ郡兵庫津の地名。現在の神戸市兵庫区島上町あたりと考えられるが詳しい場所はわかっていない。経の島ともいい、俗に兵庫の築島といわれる。承安三年(一一七三)平清盛は大輪田泊おおわだのとまり整備の一環として、港の前面に波浪よけの人工島を築いたが、難工事をきわめ容易に完成しなかった。このため人柱を立てて、石に一切経を書写して沈めたので経ヶ島と呼ばれる。法然は讃岐配流の際この地を訪れ、多くの老若男女を教化した。またこの地の薬仙寺を訪れ水陸無遮会を行ったとも伝えられ、のちに毎年正月、五月、九月を定式として法会が営まれるようになったという。


【資料】『帝王編年記』二二、『四十八巻伝』三四、『翼賛』三四、四九(浄全一六)


【参照項目】➡元祖教会


【執筆者:曽田俊弘】