一六世紀後半頃、生没年不明。法蓮社善心。百万遍知恩寺三一世。同寺二九世岌善の法系につながり藤田派に属す。諸国遍歴の後、越前国西方寺に止まるが、天正一三年(一五八五)に正親おおぎ町まち天皇の重請で知恩寺に晋山、同寺塔頭天養院を開創した。館林善導寺開山幡随意は弟子の一人で、藤田派が白旗派へ合流する一因が窺える。
【資料】『長徳山知恩寺歴志略』(仏全一一九)、『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『鎮流祖伝』五(浄全一七)
【執筆者:藤本顕通】