後北条時代の人。生没年不明。崇蓮社義順。幡随意の師。相模国玉縄二伝寺の住僧。
【資料】『浄源脈譜』(浄全一九)、『幡随意上人行状』(浄全一七)
【執筆者:笠島崇信】
元禄一三年(一七〇〇)—宝暦七年(一七五七)正月一八日。便蓮社成誉蓮阿。字あざなは独妙。河内国石川の人。幼いとき旭蓮社大阿弥陀寺の便誉即道のもとで出家した。多年にわたり檀林で修学した後、旭蓮社に戻り永宣旨により紫衣の被着を許され、講法と浄業の増進にはげんだ。命終のときに仏像の前で端座念仏を称えながら五八歳で寂した。
【資料】『新撰往生伝』五(浄全一七)
【執筆者:田中芳道】