承安三年(一一七三)—暦仁元年(一二三八)一二月二八日。鎌倉時代の皇妃・女院。名は任子。父は九条兼実、母は兼子。文治六年(一一九〇)正月一一日、後鳥羽天皇の元服の際に入内じゅだい、同四月二六日中宮となった。たびたび法然より戒を受けている。正治二年(一二〇〇)六月二八日、宜秋門院の院号を宣下される。
【執筆者:東海林良昌】