生没年不明。平経高たいらのつねたかの恒例念仏衆一二人の一人。「能声之輩」でその声は迦陵頻伽かりょうびんがに喩えられるほどであったという(『平戸記』仁治三年五月六日条、同年九月二五日条)。『七箇条制誡』にその名が確認できることから、法然の門弟である。一一〇人目と一三四人目に二回の署名が確認できる。『総系譜』下には証空の門下の系譜に「観阿」の名前が確認できるが、二回の署名も含めて同一人物であるか否かは不明である。
【参考】中野正明『増補改訂法然遺文の基礎的研究』(法蔵館、二〇一〇)
【参照項目】➡平経高
【執筆者:南宏信】