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加藤秀旭

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かとうしゅうぎょく/加藤秀旭

安政四年(一八五七)六月八日—大正一四年(一九二五)六月一六日。龍蓮社昇誉。愛知県海西郡(現・海部あま郡)に生まれる。二五歳の時に知恩院宗戒両脈相承。その後上京し浄土宗学本校専門科で法相を学び、また大和明教寺鈴木亮慧の下で俱舎唯識を修める。宗学本校教授、宗学東北支校長、高等学院教授を務めたが、明治三七年(一九〇四)、病のため北海道大成寺で静養。大正四年(一九一五)四月から宗教大学教授兼教頭、さらに曹洞宗大学教授を兼任。同一一年東京麻布称念寺住職。著書に『浄土宗綱要』一巻(丙午出版社、一九二四)がある。


【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:市川定敬】