かとうぐどう/加藤求道
文化六年(一八〇九)四月一四日—明治一六年(一八八三)六月一日。妙蓮社法誉随順阿、字は仏願、本説、民臥求道とも称する。尾張国に生まれる。江戸で遊学し天保年間(一八三〇—一八四四)に蒼誉弁苗より宗脈・戒脈を相承した。嘉永元年(一八四八)、九品院(愛知県岡崎市)四世の法灯を継ぎ、教化と寺門の興隆に努めた。明治一六年遷化。『専修三河往生験記』には、弟子である説門(三河大樹寺五二世)によって師の行状が伝えられている。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:上田千年】