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花山院兼雅

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かざんいんかねまさ/花山院兼雅

天養元年(一一四四)—正治二年(一二〇〇)七月一六日。藤原氏花山院流の祖家忠の曽孫。父は太政大臣藤原忠雅、母は中納言藤原家成女いえなりのむすめ。号は後花山院。建久九年(一一九八)左大臣となる。鎮西(九州)の荘園からあがる献上物を毎年寄進するほど深く法然帰依した貴族で、円頓戒を授かり、念仏の教えを受けた。正治二年七月一四日出家し、同一六日に死去した。


【資料】『尊卑分脈』一(『国史大系』五八)、『四十八巻伝』九、一二(聖典六)


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)


【執筆者:福田行慈】