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駆込み寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かけこみでら/駆込み寺

江戸時代は妻からの離婚要求は受諾されなかったが、特定の尼寺に入り、世俗の制約を逃れ、尼として一定期間奉公することで離婚ができた。このような特権をもつ寺院を、駆込み寺、または縁切り寺と呼んだ。最も有名なものは、相模国鎌倉の東慶寺や上野国新田郡(群馬県太田市)の満徳寺で、この二箇寺は幕府から公認を受けていた。しかし、このほかにも離縁を目的として村の寺院への駆込みが行われていることが多くの史料に示されており、地方村落の寺院にも駆込み寺としての機能があったことがうかがえる。このような駆込み寺は戦国時代に存在したアジール性の残影といわれている。アジールとは、犯罪人や被迫害者が救済を求めて逃げ込んだとき、追跡者の立ち入りを拒否して、これらの人々を保護する場所を意味する。寺院のアジール性は中世において各地に存在したが、特に戦国の世において敗残者・犯罪人が追手を逃れて寺社に遁入するのが慣例化していた。また、駆込みには、縁切り以外にも、結婚成就や復縁を目的としたもの、さらには村落内の紛争調停のために行われるものなどがある。その目的はさまざまであり、このようになんらかの救済を求めて寺に駆込むことを入寺にゅうじと呼んだ。現代では、悩みを抱えた人々の相談窓口としての意味合いが強く、寺院以外の施設、窓口などで呼称が使われるケースも多い。


【参考】佐藤孝之『駆込寺と村社会』(吉川弘文館、二〇〇六)、五十嵐富夫『駈込寺』(塙書房、一九八九)


【参照項目】➡縁切り寺


【執筆者:髙瀬顕功】