科学
提供: 新纂浄土宗大辞典
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かがく/科学
さまざまな専門分野からなる「分科の学」、またそれらの総称「百科の学」の意味で明治期に導入された語。英語science(サイエンス)の訳語としても用いる。ただ、もとは単に「知」ないし「学」をさしたscienceが、現今では専ら近代科学、とくに自然科学をさすようになり、「科学」の概念は歴史的に変遷して、広狭いくつかの意味に区別できる。およそ人間の知的活動は、現実の生活の中で展開し、多くは実用のための技術と密接につながっていた。だが、やがて文明の進化とともに文字が発明されると、その助けを借りて記録・整理され、ある程度まとまった独自の体系をなすようになった。このように文字によって公共化された「形式知」の成立は、西アジア・インド・中国などの古代文明に共通してみられ、これを「古代科学」と呼ぶこともできよう。その後の展開は、概して「古代科学」の基礎の上でなされたが、一六、七世紀頃最初に西欧で始まり、のち世界に広まった近代科学は、ますます細分化される対象領域について、観察・分析ないし実験によって厳密に検証可能で、確実な知を追求する方向に向かった。その知はふたたび技術的応用に結びついて多くの成果をあげ、現代みられるような科学・技術文明を生んだのである。近代科学の最大の特徴は、このような専門化による確実かつ有用な知の獲得ということにあるが、他方、それがものの見方や考え方の細分化をもたらし、現実の包括的な把握を困難にしたことも拭い得ない。二〇世紀後半、欧米の一部に「東洋的」な思考に倣い全体的な視野の回復をめざす「ニュー・サイエンス」の動きが興ったのも、歴史の底流に常に存在していた反動が表面に現れたものといえる。そもそも浄土教を含めての仏教、さらに一般に宗教は、生の基本的・全体的な方向づけにかかわるものであり、細分的な知としての科学とは本来その次元と役割とを異にするものとして捉えなければならない。
【参考】河合隼雄他編『岩波講座 宗教と科学』一~一二(岩波書店、一九九二~九三)
【執筆者:田丸徳善】