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開城学堂

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かいじょうがくどう/開城学堂

明治三四年(一九〇一)から昭和五年(一九三〇)の間、京城(現・ソウル)に設置されていた浄土宗による朝鮮人子弟の実業訓練および日本語教育機関。後に開城商業学堂と改称。明治三一年(一八九八)五月の第二臨時宗会で朝鮮開教区が定められた。同三三年、朝鮮開教区初代総監・広安真随が京城に着任した際、先に同地で開教を行っていた伊藤祐晃と協議し、同三四年六月に現地人に対する日本語教育の施設として開城学堂を設立し、同年九月に開堂式を挙行した。当時の名称は「開城日語学堂」で三四名の入学者があった。大正元年(一九一一)には、現地有志との共同経営から浄土宗による単独経営に切り替え、同三年には女子部を設置した。第一次世界大戦後には朝鮮総督府より設備拡張を督促されるが資金難のため、釜山知恩寺稲垣真我の篤信者であった福井政治郎の援助を受け同八年に拡張し開城商業学堂と改称、夜間部を併置した。しかしその後、総督府による開城公立商業学校が設立され、かつ不況のあおりも受け多額の負債が生じ、昭和五年に閉鎖した。


【参考】柴田玄鳳編『浄土宗開教要覧』(浄土宗務所教学部、一九二九)


【執筆者:江島尚俊】