尼寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
あまでら/尼寺
尼僧が住職を務める寺。日本では、崇峻天皇三年(五九〇)に百済より帰朝した善信尼ら三人の尼が、敏達天皇一三年(五八四)蘇我馬子によって飛鳥豊浦に建立された仏殿に居住したのをもって起源とされる。その後、天平一三年(七四一)に国分寺ならびに国分尼寺を諸国に建立する命が発布された。一五世紀になると、京都や鎌倉に禅家五山を倣った五寺の尼寺が選ばれ尼寺五山と称された。皇族の女性や公家の女性などが住した尼寺は比丘尼御所ともいわれる。浄土宗では、一五世紀に後光厳天皇(北朝四代)皇女見子内親王が崇光天皇(北朝三代)の住居であった入江殿を寺院に改め、足利義満女性仙尼を開山とした三時知恩寺や、延文元年(一三五六)後伏見天皇皇女進子内親王が四宗兼学道場として建立した光照院(常盤御所)が知られている。
【参考】浄土宗尼僧史編纂委員会編『浄土宗尼僧史』(吉水学園高等学校、一九六一)、大隅和雄・西口順子編『尼と尼寺』(平凡社、一九八九)
【参照項目】➡尼
【執筆者:工藤美和子】