臨終時に仏にまみえること。仏にまみえ教えを懇望する見仏には三昧、ならびに夢中の所見とともに行者の終末時のものがある。大乗経典には仏や菩薩による臨終来迎の諸説がある。その中でも極楽浄土への往生を願う者が、命終に臨んで阿弥陀仏の迎接こうしょうを目の当たりにするという見仏の思想と信仰が、もっとも盛んになった。法然が『逆修説法』で説いた「臨終正念なるが故に来迎したまうにはあらず、来迎したまうが故に臨終正念なり」(昭法全二三四)の言葉は来迎見仏のありようを端的に明かしている。
【参照項目】➡来迎
【執筆者:大南龍昇】