一六世紀初期頃、生没年不明。天蓮社満誉。清浄華院二三世。『総系譜』(浄全一九・二九)によれば、一条派秀馨の門弟。伝歴は明らかでない。秀馨のあとを受けて清浄華院に住持したが、戦国時代であるために寺領は武将や百姓一揆に押領された。良周が住持していた頃は本山の歴史上、最も衰退したときである。
【資料】『総系譜』(浄全一九)、『清浄華院誌要』(浄全二〇)
【執筆者:今井英之】