—元和四年(一六一八)七月二〇日。雲蓮社台誉牛越。清浄華院三六世。良休りょうく、良安に師事し、慶長一三年(一六〇八)、良久のあとを受けて勅請により清浄華院に住す。同一五年六月、従来、清浄華院の兼帯であった黒谷が独立。元和元年(一六一五)七月二七日、徳川家康が寺領五〇石の黒印を与えようとしたが、勅願所であるためそれを受けなかった。
【資料】『清浄華院誌要』(浄全二〇)
【執筆者:今井英之】