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良玄寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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りょうげんじ/良玄寺

千葉県夷隅いすみ郡大多喜町新丁。金沢山山王院。千葉教区№七七。文禄四年(一五九五)九月二五日、大多喜城主・本多忠勝の開基。忠勝は開山照誉了学を下総国小金(千葉県松戸市)東漸寺より招き、一〇〇石を寄進して良信寺を建立した。忠勝の二男忠朝は、元和元年(一六一五)五月大坂夏の陣で討死。その法名にちなみ、以後、良信寺を良玄寺と改称した。飯沼弘経寺の遠方直末。当寺の所蔵什物である紙本著色本多忠勝像は千葉県の有形文化財に指定されており、現在は千葉県立中央博物館大多喜城分館に寄託している。


【資料】『生実大巌寺志』(浄全二〇)、『蓮門精舎旧詞』四七(続浄一九)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)


【参考】『千葉県浄土宗寺院誌』(千葉県浄土宗寺院誌刊行委員会、一九八二)


【執筆者:杉山裕俊】