—天保三年(一八三二)一一月。天蓮社観誉。清浄華院五九世。文政三年(一八二〇)に結城弘経寺四六世となり、同七年三月に台命と勅請により清浄華院住職となった。同九年八月に仁孝天皇の皇女成宮(瑞放光院)、同一〇年五月に光格天皇の皇女勝宮(無上覚院)の葬送の導師を勤めた。
【資料】『清浄華院誌要』(浄全二〇)、『浄源脈譜』(浄全一九)、『陵墓要覧』(宮内庁書陵部、一九九三)
【執筆者:石川達也】