文久元年(一八六一)九月一五日—昭和三年(一九二八)三月八日。信蓮社実誉願阿。道号は義精。百万遍知恩寺六七世。現在の長野県諏訪市豊田に笠原彦五郎春尚の四男として生まれる。明治七年(一八七四)同市上諏訪正願寺の念誉説岸の弟子となり、宮沢に改姓する。東京東部大学林において宗学を究め、温誉大宣より宗戒両脈を相承する。同一七年京都大学林の講授を任ぜられる。同二一年師籍正願寺、同四一年長崎大音寺に転住し両寺を中興する。大正一二年(一九二三)百万遍知恩寺六七世となる。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:横井大覚】