みほしぜんのう/三星善応
天保一四年(一八四三)二月一〇日—明治三一年(一八九八)七月八日。恭蓮社立誉報阿。字は謙譲。明治期の宗政家。現在の島根県大田市久利町久利に三星儀七の二男として生まれる。元治元年(一八六四)に東京深川霊巌寺の選誉学心より宗戒両脈を相承。明治一一年(一八七八)東京牛込の来迎寺に転住。同二二年公会議員となり、宗制・寺法の制定に心血を注いだ。また同年、浄土教報社を設立し『浄土教報』を刊行。同二三年浄土宗学本校校長となる。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:横井大覚】