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彭紹升

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ほうしょうしょう/彭紹升

乾隆五年(一七四〇)—嘉慶元年(一七九六)。あざなは允初、尺木、知帰子と号し、法名を際清という。清代の代表的な禅浄双修居士。江蘇省長州の士族家庭に生まれ、乾隆三四年(一七六九)進士となり、支県に選ばれたが、赴任しなかった。初めは宋明の理学と道教の修練術を学んだが、のちに仏法専念した。彭の浄土思想は袾宏しゅこう、真可、徳清智旭らの思想を受けたほか、特に中国浄土教九祖とされる実賢に私淑したという。「一日一〇時間の念仏・九時間の観仏・一時間の礼賛」という実修的な念仏修法を生涯にわたって修したという。彼の編集した『無量寿経』(諸漢訳の編集版)は当時の中国浄土教に大きな影響力を持ち、その浄土思想は後の楊文会などに強い影響を与えた。他に浄土教関係の著作として、『華厳念仏三昧論』一巻、『無量寿経起信論』三巻、『観無量寿仏経約論』一巻、『阿弥陀経約論』一巻、『一乗決疑論』一巻、『居士伝』五六巻、『善女人伝』二巻、『浄土聖賢録』九巻などがある。


【参考】震華『中国仏教人名大辞典』(上海辞書出版社、一九九九)、牧田諦亮『中国仏教史研究』二(大東出版社、一九八四)


【参照項目】➡華厳念仏三昧論阿弥陀経約論浄土聖賢録


【執筆者:肖越】