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不断光院

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ふだんこういん/不断光院

鹿児島市易居町。養泉山無量寺。三州教区№二五。創建は永禄五年(一五六二)、開山は清誉で、開基は島津貴久。もとは現在の同市長田町にあった。開山の清誉が京都の不断光院住職であった時に、京都の不断光院と関係のある近衛龍山が薩摩に向かう際に同行し、そこで島津家の帰依を受けたとされている。江戸時代、薩摩国の触頭ふれがしらであった。明治二年(一八六九)には廃仏毀釈の影響により多くの名刹とともに廃寺となったが、廃仏毀釈政策が破棄された後の同一六年に現在の地に移転されて再建された。


【資料】『蓮門精舎旧詞』、『略伝集』、『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)


【参考】宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)、鹿児島県編『鹿児島県史』三(近藤出版社、一九七四)


【執筆者:冨川禎顕】