前涼・太元九年(三三二)—東晋・義熙一〇年(四一四)。中国・東晋時代の僧。廬山慧遠と同じく道安門下の僧。本姓は潘。河内(黄河北部)の人。一二歳で出家し竺曇現に師事し、のちに道安に師事した。慧遠より先に廬山に移り西林寺に住し、慧遠は慧永の要請によって、廬山東林寺に住した。慧遠の念仏結社にも参加したものと考えられる。西方浄土信仰を持ち、臨終には「仏来たれり」と言って寂したという。
【資料】『高僧伝』六(正蔵五〇)、『廬山記』一(正蔵五二)
【参考】鎌田茂雄『中国仏教史』二(東京大学出版会、一九八三)
【執筆者:曽和義宏】