宝永八年(一七一一)法然五〇〇回遠忌に中御門なかみかど天皇より加諡かしされた大師号。前年に知恩院が所司代松平信庸のぶつねを通じて幕府に伺いを立てたところ、「勝手次第」との回答を得て、実質的に大師号加諡が決まった。同年正月一八日、勅使平松時春が知恩院に参向した。
【資料】知恩院所蔵『日鑑』
【参照項目】➡大師号
【執筆者:伊藤真昭】