法然の諡号しごうの一つ。法然滅後二三〇年頃、清浄華院等熈とうきの奏状により一〇二代後花園天皇からこの諡号を賜ったといわれている。
【参考】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:石川達也】