九州地方の別称。筑紫ともいう。七世紀後半に大宰府が設置され、天平一四年(七四二)一月に廃止、翌一五年には鎮西府が設置された。西蛮を鎮むという意味で、この頃にはこの地方を鎮西と呼称していたようである。聖光はこの地域を中心に活躍したため、鎮西聖光、鎮西上人などと呼ばれ、また聖光の門流を鎮西流・鎮西義・鎮西派などと呼称する。現在浄土宗として伝わる門流はこの聖光の門流である。
【資料】『翼賛』六、四九(浄全一六)
【参照項目】➡鎮西流
【執筆者:郡嶋昭示】