生没年不明。聖光の門弟とされることから恐らくは一三世紀中頃の人。阿波国の人。初め法然に帰依し、同国にて教化に努めた。後に『授手印』を被閲したときには、法然から具つぶさに教説を受け継いだ書物を拝することができたと感嘆する。そして聖光に書状を送り、門人になったという。
【資料】『鎮流祖伝』三(浄全一七)、『聖光上人伝』(『聖光上人伝と〈末代念仏授手印〉』善導寺、二〇〇二)
【執筆者:郡嶋昭示】