ちばたねより/千葉胤頼
一二~三世紀頃、生没年不明。法阿弥陀仏と号す。千葉常胤の六男。六郎大夫と称した。鎌倉時代の関東武士。『吾妻鏡』によれば、禁裏警護をしていた滝口の武士であったが、治承四年(一一八〇)、三浦義澄とともに下向して源頼朝に挙兵をすすめ、以降、建久六年(一一九五)まで、その側近にいて信任を得た。元久元年(一二〇四)冬に発心出家。承元二年(一二〇八)には子息重胤が父の跡を継いでいるから、『四十八巻伝』に記される出家の年時は信用できる。嘉禄三年(一二二七)、法然の遺骸改葬にあたって警護の供にあたっている。
【資料】『吾妻鏡』、『四十八巻伝』四三(聖典六)
【執筆者:小此木輝之】