一六世紀頃、生没年不明。仏蓮社願誉。清浄華院二六世。等俊に師事し、はじめ越前国正覚寺に住していたが、師のあとを継いで清浄華院二六世となった。天文一〇年(一五四一)一〇月二六日「金戒光明寺制法」を定めている。清浄華院住職を荀才じゅんさいに譲り、再び正覚寺に住した。弟子に三休さんくがいる。
【資料】『清浄華院誌要』(浄全二〇)、『総系譜』『浄源脈譜』(共に浄全一九)
【執筆者:石川達也】