万延二年(一八六一)法然六五〇年遠忌に孝明天皇より加諡かしされた大師号。前年に所司代酒井忠義を通じ幕府へ願い出て「勝手次第」との返答により加諡が決まった。知恩院から「慈教」と「法隆」を候補として朝廷に提出し、「慈教」が選ばれた。典拠は善導の『法事讃』「慈悲方便 視教随宜 勧念弥陀 帰乎浄土」(浄全四・一上)からきている。同年正月一八日、勅使交野時万かたのときつむが知恩院へ参向した。
【資料】知恩院所蔵『日鑑』
【参考】宝田正道「慈教大師徽号勘文攷」(浄土学二六、一九五八)
【参照項目】➡大師号
【執筆者:伊藤真昭】