東京都千代田区麴町。常栄山天性院。東京教区№八七。創建当初より現在の地(江戸城外郭の内側)にあったと考えられるが、起立年次等は不詳。開山は西山義の然翁宗貞聖山(—一六〇五)、生国は三河と伝わっている。中興二代廊誉祖吟の代に鎮西派となり、江戸時代は知恩院末であった。観音堂内の千手観音は『江戸名所図会』に紹介され、閻王・十王像とともに参詣者を集めた。『三縁山志』『檀林志』の著者摂門、江戸中期の治水家井沢為永ためながの墓がある。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『江戸名所図会』(原寸復刻『江戸名所図会』中、評論社、二〇〇六)
【執筆者:中野真理子】