法然が信空に付属した房舎。白川本房ともいう。法然の『没後遺誡文』には、寝殿と雑舎からなり、法然の没後に信空に譲る旨が記されている。『四巻伝』『九巻伝』『四十八巻伝』所収の信空による法然の七七日忌法要の願文には、法然が黒谷の草庵から白河(白川)の禅房へ移住したと記されている。三田全信は、信空の祖父葉室顕時はむろあきときが叡空に寄進し、後に法然に譲られた中山(吉田山。現在の金戒光明寺の地)の別邸が白川禅房(二階房)であったと推測している。
【参考】三田全信『改訂増補 浄土宗史の諸研究』(平楽寺書店、一九八〇)
【参照項目】➡信空
【執筆者:曽田俊弘】