一二~三世紀頃、生没年不明。『七箇条制誡』において、元久元年(一二〇四)一一月九日に一七一、一七七人目に署名が見られることから、一三世紀頃の法然門弟であることが知られる。『知恩伝』上には、建久元年(一一九〇)の清水寺での法然の七日間にわたる説法を右馬入道西念(山鹿時家)が聴聞したとする。『尊卑分脈』では宇都宮時家が左衛門尉で法名を西念とする。
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)、中野正明『増補改訂法然遺文の基礎的研究』(法蔵館、二〇一〇)
【執筆者:南宏信】