一二~三世紀頃、生没年不明。善綽房(『古徳伝』七)、善寂房ともいう。また親鸞に同行し、聖覚のもとにいたこともある。『七箇条制誡』では一七番目に署名している。建永の法難(一二〇七)時の死罪人に性願・住蓮・安楽とともに連坐し、佐々木判官奉行のもとに摂津国で誅ちゅうされた。『歎異抄』『法水分流記』にも同内容の記述がある。
【資料】『古徳伝』七、『漢語灯録』一、『口伝鈔』
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)、中野正明『増補改訂法然遺文の基礎的研究』(法蔵館、二〇一〇)
【執筆者:南宏信】