一三世紀初め頃、生没年不明。法然の門弟。光明房は法然へ、幸西の弟子が越後国で一念義を弘めていたことを訴え、法然から返書を得たことが『四十八巻伝』二九に記されている。その返書が『西方指南抄』に「故聖人の御坊の御消息(光明房に答うる書)」として所収されている。これを機に法然は一念義停止ちょうじの起請文を定めたという。幸西の弟子について『九巻伝』では善心房とされている。なお善心房は善信房(親鸞)に音が通じるが、親鸞であるかどうかは未詳。
【資料】『四十八巻伝』二九(聖典六)、『西方指南抄』下(昭法全)、『琳阿本』八、『九巻伝』六下(共に法伝全)
【執筆者:長尾隆寛】